地元乙訓で三人展をします。
江戸時代にはこの地に建っていた中小路家住宅で展示するので
1748年、徳川九代将軍家重の時代にやってきた朝鮮通信使の行列を
向日町の三人組が淀へ見に行く話を制作中です。
朝鮮通信使とは、両国の「信を通わす」という外交関係の象徴であり、
朝鮮から派遣された使節団のこと。
豊臣秀吉による朝鮮侵略で緊張化した国交回復の期間は、日本の状況を探る「探賊使」、
日本へ連行された捕虜の返還を担った「回答兼刷還使」と名称を変え、
1636年に再び「通信使」となり、1811年まで続きます。
釜山を出て大坂を経由し京都で船を降り、江戸へ向かうルートを通りました。
調べていると
淀川・桂川・宇治川の合流点は現在よりも北にあった
現在よりも小畑川は浅かったなど、資料が出てきてなかなか先に進みません。
果たして間に合うのでしょうか。
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